HOBO日鑑イタイ新聞

職人が二本の人差し指で一文字一文字、じっくり丁寧に打ち込みました

鑑別師、家を買う

ヨーロッパに住む鑑別師は、運転も仕事の一部と言って良いほど走ります。今日は北へ100km、明日は南に200kmといった具合です。(最近は一つの孵化場でしか仕事をしない鑑別師も多いので、一概には言えなくなっていますが)

鑑別師はそれが当たり前だと考えている私でも、なぜあんなに通勤に不便な所に住んでいるんだろう?と思ってしまう鑑別師さんがいらっしゃいます。そういう鑑別師さん達がそこに住んでいる理由はなんでしょうか?

環境が良いから?現地人の奥さんの実家に近いから?安く家を買えたから?そういう理由ももちろんあるとは思いますが、一番の理由は、昔その近くに孵化場があったから、です。

誰も好き好んで、わざわざ仕事場から遠いところに住んでいるわけではないのです。仕事に励み、お金を貯めて、家族のために家を建てた途端、仕事先の孵化場が無くなってしまった……涙無くしては語れないお話です。

 海外で、鑑別師が鑑別以外の仕事で、鑑別と同じくらいの収入を得るのは、簡単なことではありません。しかし家のローンは残っている。となると、西へ東へ駆け回って鑑別の仕事をこなすしかありません。

そうなると当然、家を空ける時間が長くなります。妻との会話は少なくなり、子供達とのふれあいは減り、愛犬しか話相手がいなくなります。それでも逆境に耐えて10年。妻は浮気し、子供達は父を軽んじ、愛犬は不審者に対するように吠えかける……全米が泣いた、クラスの悲劇が待ち構えています。

 どうしてこのような災難が、何の罪も無い善良な鑑別師に降りかかるのでしょう?死んでいったオス雛のたたり?それとも海外に居るので、先祖のお墓参りをしていないせい?前世での食い逃げの罰?

そんなオカルトに惑わされてはいけません。家のローンを抱えた上に、高額の壺まで買わされてしまいます。

プロダクトライフサイクル、企業30年説といった言葉をご存知でしょうか?私も生半可な知識しかありませんので、詳細はネット検索でもして頂くとして、 大雑把に言えば、製品や企業にも寿命があるというおはなしです。

ヒヨコの品種の流行り廃り、代替り、伝染病。孵化場の寿命が尽きるきっかけはいくつもあります。そしてそれは鑑別師の人生に大きく影響します。では我らが悲劇の主人公の場合は?

ついに奥さんに逃げられ、独立した子供達も家に寄り付かず、愛犬も天に召されてしまい、一人で住むには大き過ぎる家で、一人さびしく壺を磨いているKさん(仮名)。そのKさんが、新人としてヨーロッパに派遣されてきたころ、Kさんの仕事先であるその孵化場は、最盛期を迎えていました。鑑別師もたくさん必要になり、そのためKさんにもお呼びがかかったのです。

Kさんはがむしゃらに働きました。そして恋をし、家庭を築き、念願のマイホームを建てたちょうどその頃、孵化場の寿命は尽きようとしていたのです。鑑別師の知らないところで、人件費の安い国への移転が決まっていました。こういった計画が、いちいち鑑別師に知らされるわけではありません。まさに青天の霹靂。

若い鑑別師の中には、移転先について行く者もいました。ですが後進国への引越しには、Kさんの奥さんが頑強に反対しました。子供達の教育面を考えて、Kさんも居残ることに決めました。何よりも家族を大事に考えたKさん。彼のその後については前述の通りです。合掌。

家を建てる場合は、予算や間取り、周囲の環境、返済計画等々考えることがたくさんあります。ですが皆さん、Kさんの悲劇を繰り返さないためにも、孵化場の経営分析を項目の1つに加えてください。

そして長々と書いて参りましたが、結局何が言いたいのかと申しますと、私が借家住まいなのは、深謀遠慮の末のことであって、決して私の甲斐性が無いからではないのだ、妻よ、ということです。